【対談】“団塊ジュニア世代”が考える。シニアの居場所
私が『BABA lab』をスタートしたとき、「なんで、30代のあなたがシニアのことを?」と聞かれることが多々ありました。どこに顔を出しても年輩の方ばかりの業界で、唯一出会った同級生が澤岡さんでした。同じ熱量でシニアのことについて語れる澤岡さんと、「シニアの居場所」について語り合いました。
※この対談シリーズは、2020年コロナ禍に企画したものです。
澤岡詩野(さわおか・しの)
1974年生まれ「団塊ジュニア世代」
公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団主任研究員。専門領域は老年社会学、高齢社会の地域づくり。人生100年を豊かにするための、家庭でも職場でもない3つ目の居場所の在り方を明らかにすべくフィールドワークに力を注いでいる。著書『地方創生へのまちづくり・ひとづくり』(ミネルバ書房刊 2016年)など
シニアにとって必要な「居場所」とは?
>桑原
新型コロナウィルスの感染拡大防止のために外出規制が出ていますが、シニアの反応は、まさに人ぞれぞれですね。ルールを守り、自宅にこもり過ぎて腰痛を発症している人もいれば、開いている店を探してあちこち巡っている人もいます。みなさんに共通しているのは、いつも行くところに行けないということ。趣味の習いごとであったり、お茶会であったり、スポーツジムであったり…。澤岡さんがいつもお話しされている「居場所」の必要性を再認識しました。あらためて、シニアにとって「居場所」とはどんなものでしょうか?
>澤岡
「居場所」と「場所」の違いはなんだと思いますか?単に一文字多いだけではないのですよね。
「居」には「居方(いかた)」という意味があります。つまり、場所は単なる空間ですが、そこに「居」が加わることで、自分らしくいられる“居方ができる場”という意味になります。「現役時代は前を素通りしていた近所の公園に、退職後に犬の散歩で行くようになり、犬友ができて、今では公園に行くことが生活の一部になっている」定年退職した方からこんな話を聞くことがあります。まさに、それまでは単なる場所だった公園が、犬友と話せる馴染んだ「居場所」になったというです。そんな何気ない日常の一コマも「居場所」だったりするわけです。
桑原さんは「シニアの居場所」というと、どんな場を思い浮かべますか?
>桑原
人によってそれぞれですよね。たとえば長年続けている書道や体操の教室だったり、会社のOB会だったり、色々あると思います。ですが、まずは「家」と答える方が多いかもしれません。でも、家庭の様子は周りから見えませんし、はたしてそこが本当の「居場所」になっているのかはわからないですよね。
>澤岡
確かに、シニアのなかには「家」と答える方が比較的多いと思います。家があるから充分、新しく出ていくのはおっくう…という方もいらっしゃいます。これはよくわかりますよね。今までずーっと仕事したり子育てしたりしてきて、ようやく面倒なことからも解放されるのになんでまたこれから…となりますよね。
>桑原
私の父(70歳)もそうです。新しい場所に出ていくのはおっくう。楽だから家に居る、ということだと思うんですが、<家で家族と>だけになってしまうと、家族同士ゆえの面倒なこともあるし、心が充たされる「居場所」とはまた違うのでは…?と疑問に感じてしまいます…娘としては。
>澤岡
そうですよね、やっぱり「家」以外の「居場所」が必要なんですよね。なぜシニアになってから家以外の新しい居場所が必要なのか?私と桑原さんの年代である40代頃から振り返って考えてみましょうか。
今のシニア世代の多くは、40~50代を夫は外で家族のために仕事を、妻は夫にかわって必死で家を守る、という役割分担で過ごしてきたと思います。夫にとっては、「職場」が大きな居場所であり、妻にとっては「家」が大きな居場所ですよね。
しかし、高齢になってくると、この何十年間も必死に守って来た大きな居場所から卒業したり、居場所の大きさが小さくなったりします。そのため、これに変わる居場所を見つけられないと、閉じこもったり、生きがいを見い出せないまま長い時間を過ごすことになってしまいますよね…。
>桑原
誰しもが長生きできる時代です。シニアになり、30年間守ってきた居場所から卒業して、その先にさらに「30年もある!」そこから、次の居場所を見つけないといけない…。これはどう考えてもハードですね。私も引きこもってしまいそう(笑)
シニアの「居場所」づくりは“近場”がポイント?
>澤岡
ところで、居場所を見つけて輝いているシニアの方でも、75歳を過ぎる頃から、要介護になったわけではないのに、少し目の輝きがなくなってくる、そんな方もいらっしゃいますよね。
>桑原
私もシニアと接する中で、それは肌で感じますね。特に男性に多いような気がします。この間までは元気に活動のリーダーをしていたのに、最近姿を見ないなと思ったら「俺、もう引退したんだ~」と。そうですね、年齢も75歳前後からだと思います。
>澤岡
私の知り合いの方で “退職後は農家になりたい”という夢を実らせて、山梨の畑を手に入れ、半分は今の住まい、半分は山梨で農業という生活を楽しんでいた男性がいます。その方が70歳を過ぎた頃からでしょうか、「通いきれない」とボヤくようになり、80歳になった今は農家を諦めて自宅に戻り、奥さん以外との会話はほとんどなし、散歩と図書館通いの毎日です。
>桑原
老年社会学の世界で言う“フレイル”(※注1)ですね。
※注1 フレイルとは、健康な状態と要介護状態の中間に位置し、身体的機能や認知機能の低下が見られる状態
>澤岡
そうなんです。70歳真ん中ころから多くの人に自立度の低下、虚弱化という変化が起きてきます。そうなってくると、電車での外出もだんだんおっくうになってくるわけで、結局は家から徒歩・自転車位くらいの範囲に生活が落ち着いてくるのですよね。そうなってから近場に居場所をつくるのは、さらにおっくうになりますから、早いうちから近場である「地元」に居場所をみつけておく、種まきをするということが大事になりますね。
>桑原
私の周りの楽しそうに活動しているシニア男性は、サラリーマン時代から、子供を通じて子育て支援の活動に関わったり、地域のお祭りに積極的に参加したり、スタートが早い人が多いですね。早い人では、30代から始めているかな。活動の内容や形態にこだわらず、まずは「地元」でできそうなことを探していく、というのがポイントになりますね。
シニアとなった団塊世代の父と団塊ジュニアの子の向き合い方
>桑原
(前編では)シニアの居場所の話から、特にシニア男性の話になりましたが、私も澤岡さんも、父親が団塊の世代で、自身は団塊ジュニア世代の娘、という共通項がありますよね。以前にも澤岡さんとお話しさせていただいたことがありますが、この世代の“父と娘の悩み”というのもありますよね(笑)。少し個人的な話になりますが、せっかく同じような環境の2人なので、少し「団塊の父と団塊ジュニアの娘」ということで話してみませんか?
>澤岡
そうですね。せっかく“同級生”なので。私も仕事ではいろいろ言っていますが、プライベートではなかなか…(笑)
>桑原
私の父は、団塊の世代ど真ん中ですが、やはり現役を引退してからは家に閉じこもりがちでした。出かけるのも母に着いていくときだけ。母は「一人で散歩でもいけばいいのに!」と当初はイライラしていましたが、そのうち現状を受け入れ(受け入れてないのかな?)折り合いをつけていました。けれど、一緒にいる時間が長いと、もめごとも増えるわけで…。一人娘の私としては、「これで先に母が死んだらつらいぞ…」と思いました。
私が事務局長を務めていたシニアの生涯学習の場(さいたま市の生涯学習事業「さいたま市シニアユニバーシティ」)に、無理やり通わせたのですが、誰とも話さず、ふだん読まない小説なんかを教室で開いているわけですよ。荒療治も効果なしかと思ったのですが、やたらとコミュニケーションスキルの高い“奇跡のおじさま”というような方がいるじゃないですか?(笑)そういう方たちに優しくしてもらい、今や、パソコンクラブに通ったり、ウォーキングクラブであちこちにでかけたりと、近所の友人も増えて、日々楽しそうにやっています。母も一人の時間が増えて、楽しそうです。
>澤岡
“奇跡のおじさま”いますよね。シニア男性ともっとも縁の遠い(?)“女子の集い”にも、みごとに馴染んでしまう“おばさんおじさん”とでもいうような男性。企業の営業職や自営業だったとか、家族に女性が多く幼い頃から鍛えられたとか、コミュニケーションスキルが高くなった要因は色々とあるのだと思いますが、シニアになって急に“おばさんおじさん”になったわけではないと思います。
むしろ、“とにかくリーダーになりたいおじさん”というタイプの方もいますね。リーダーになりたい男性も、本当に自分も一緒に泥をかぶる覚悟で先頭に立ちたい人と、「よく知らないおばちゃんやおじちゃんの下にはなれない」というようなプライド重視の人と二通りの方がいますね。それから「一人を好むおじさん」というタイプの方もいて、純粋に一人を好む人と、一緒に楽しめる仲間や知合いが欲しいけれど、自分から行くのは気が退ける…だから一人、という方もいます。複雑なんですよね。
>桑原
表面的なところだけでは、本当はどんなことを考えているのか、周囲からはわかりにくいですね。
>澤岡
一括りで「おじさん」といってしまいがちですが、色々なタイプの方がいることを第三者の視点で分析することが大事ですよね。桑原さんの場合、たくさんのシニアにもまれて(?)目が肥えているので(笑)お父さまのことを冷静に見ることができ、(ちょっといかがなものか…)と思う行動や言葉も「まあ、そういう見方もあるよね」と優しく捉とらえることができているように思います。
でも、ふつうは、妻や子供は何とかしたいと思っても、つい「お隣の〇〇さんウォーキングクラブをつくったんだって。あなたもブラブラしているなら入れていただいたら? 頼んであげようか?」なんて、素敵にみえる誰かを引き合いにだして、ご本人の気持ちを削いでしまったりしているのですよね。
>桑原
家族からの指摘って、率直になりがちなだけに、本人にはザックリと心に突き刺さるし、素直になれないかもしれません。私たち40代くらいの人で、親との関係に悩んでいる人は本当に多いなと思っています。就職をして独立し、適度に親と離れていたのに、結婚、子育て、そして両親の老いを通して、親との密な時間がまたやってきます。互いに独立した子供と親という関係から、親の老いとともに、子供への依存度が高くなってくる。そうした変化を親自身も認めにくかったりもしますよね。そういう関係性の変化の中で、子供が親に「居場所」を探したいと思っても、なかなかうまくいかない。どうやったら上手にうながせるのか、何かアドバイスはありますか?
女性に比べて、男性のほうが居場所を探すのに苦労している方が多いので、だいぶ男性に偏った話になっていますが…。
一流の銀座のクラブのママになった気持ちで?
>澤岡
まずは親を分析してみましょう。そして分析をするときには、周りとは比較をしないこと。人生でつくってきた価値観は十人十色です。大事なのは、本人ができていること、得意なことを“小さくても”見つけ出して褒めることです。おおげさじゃなく、さりげなくですよ(笑)
よく地域で活躍するリーダーの方にお話しているのですが、シニアのグループがうまくいくためには「まとめ役の方は一流の銀座のクラブのママになりきってください」と。おおげさじゃなく褒めて、その気にさせて、まずはそのシニアの方と似通った人の集まり(同質性の高そうな「場」)を紹介するんです。性別、年代、趣味、出身地、学校や職場、なんでも良いんです。似た属性が重なるほどに、初めての感じがうすれ、居心地の良さが生まれます。子供が親を導くときにも、そんな気持ちでやってみると良いと思います。なかなかむずかしいですが(笑)
>桑原
なるほど…。先ほども話に出ましたが、具体的な内容はなんでもよいと(笑)
まずは“その気にさせること”そして“共通項のある場に誘導すること”ということですね。
>澤岡
そんな「場」につなげることができれば、親もオトナですから、どんどん新たな「場」に自分から出ていくはずです。
もう一つポイントを挙げると、「今でしょ!」のタイミングは人それぞれなので、「場」の紹介は何度も、クドくない程度に続けてください。“ワタシは女優”と言い聞かせ、親に働きかけ続ける。「今でしょ」がはじまり、同質性の高さに「居心地のよさ」を感じたら、あとはもう大丈夫。
>桑原
クラブのママや女優にならねばならない…頭ではわかっているのですが、さすがの私でも、心がついていかなくて、死んだ魚の目になっているときもありますよ(笑)まだまだ修行が足りないです…。
ところで、澤岡さん自身は、親に対してどうですか?
“その気”になるまでは、辛抱強く
>澤岡
なんて偉そうに言いながらも、実は私も親についてはナカナカです…。母は芸術系で好きなことを貫いてきた人生なのですが、今もそのまま我が道を貫いています。
心配なのは最近まで半分単身赴任生活を送ってきた、仕事が趣味のような80代の父です。
「退職時に輪番でまわってきた町内会のお当番を経てその次は会長に…」なんて地域コミュニティのカリスマ的なおじさんを思い浮かべ、父に町内会の組長をさせてみようなんて、私もいろいろと目論んだのですが、ことごとく失敗。
ほかにも、私が仕事の調査で出会った素敵なシニアの話を父に「紹介しょうか~」なんて弾を放ってみましたが、すべて不発弾のまま。先ほどの話、実は私のことです(笑)。父を分析できていなかったんですよね。
>桑原
あはは、澤岡さんとお父さんでもそうなのか…少し安心しました(笑)
>澤岡
このままじゃうちの父は引きこもってしまう、と焦る気持ちを一旦おいて、冷静に眺めてみると、退職してからの父は、我が道を突っ走るような母をサポートすることで、母の芸術家仲間やご近所の方とコミュニケーションする時間が増えているのを発見したんですよ。町内会の役員になる、地元のサークルに入る、ということとは形が違いますが、母を介して人の役に立ち、感謝もされて、父のセカンドライフはかなり充実しているのだな~と気付いたんですね。最近は、母がふと漏らす困りごとに対して、直すぐに私が動かないようにしています。私が動かずに父と母を数日観察していると、父はブツブツいながら母のメールを代わりに送っていたり、母が必要な資料が届いたかを母の代わりに電話で確認したりする父の姿がチラホラ。
今では、私も「お父さんじゃないと駄目だよね~」と褒めることに加え、母を介さなくても成り立つように、「どうせならお父さんが△△さんと直にやりとりしてみたら?」などと折を見て父に提案したり(笑)
>桑原
さすが!上手な誘導ですね~。この「親をどうするか問題」は悩んでいる方が多いと思うので、参考になりそうですね。先ほども話題に出ましたが、活動の内容じゃなく、まずはどうやって“その気”にさせるか、なのですね。どこかのコミュニティに所属すると、次々と別のコミュニティにつながっていけるので、活動内容自体はそんなに重要ではない。趣味のサークルに入って、そこで知り合った人と別のサークルに参加したり、それがボランティアにつながったり、就業につながったりすることもありますよね。私もそういうケースを多く見てきました。
コロナ禍で感じた「場」の脆さ
>桑原
ここまで、「シニアの居場所」について話してきましたが、このコロナ禍において、「場」の脆さを初めて感じました。いまはなるべく人が集まらないことが重要になっています。ポスト・コロナ社会においても、さらに“集中ではなく分散”が進むと思います。そうすると「居場所」としての「場」が成立しない状況になってきますよね。もちろん、シニアの居場所に限れば、“地元”の要素が強いので、変化はそんなにないのかもしれませんが。
>澤岡
歳を重ねてからの居場所は、退職や子育てからの卒業という環境の変化、身体の変化などなど、さまざまな変化が急に訪れてからの居場所探し、というむずかしさがあります。でも、シニアになる前から、ある程度は準備をしておくことで備えられることでもありました。
そう思い込んでいたところにおきた想定外の変化が「コロナ」でした。
コロナの感染予防として大事なのが「人との接触を避ける」「外出を避ける」こと。今までのような人と人がつながり、自分らしい居方ができる「居場所」の在り方がまったく否定されてしまう。これまでの価値観を覆されるような状況に、多くの人が悩んでいますね。同時に、居場所を失ってしまったシニアの皆さん、特にひとり暮らしの場合は完全に孤立状態にあり、コロナの情報を眺めては不安を募らせる毎日を過ごしている方が多いですね。
>桑原
『BABA labさいたま工房』も、緊急事態宣言が出てからは完全に閉鎖していますが、やはり、ひとり暮らしのスタッフのことは心配ですね。不安やストレスを誰かと共有できない状態が続くのは危険です。
>澤岡
そんな孤独で不安な毎日ですが、不思議と元気にみえる方もいます。この方々に共通しているのが、この2つだと考えています。
① 電話や手紙、人に寄ってはLINEやメールで誰かとやり取りをしている
② ウォーキングや買い物の道すがら、あいさつやちょっとした声かけをしている
① でいえば、サークルの仲間に趣味の絵手紙で季節の花の便りを出している人だったり、ジム仲間のLINEグループでお互いの愚痴を笑い合っている人とかだったり。ひとり暮らしの人が気になって、定期的に電話をかけているなんていう方もいます。
② でいえば、犬の散歩ですれ違う人にあえてあいさつをするようにしていたり、いつも行くお店のレジの女性にあえて感謝を伝えているなんていうお話を伺います。
いずれの人たちも、それまでは普通のことだった電話や手紙、LINEでつながりを確認することで、ふだんなら忘れるくらいのゆるやかで何気ない会話が、今はすごくありがたいという事を口にされます。
>桑原
おっしゃる通りで、私のまわりの元気なシニアたちも電話をかけまくっていますね。安否を確認したり、話し相手になったり。散歩のついでにお手紙を友人の自宅ポストに投函するという方もいますし、ひたすら、町内を掃除しまくっているという方も。みなさん、置かれた環境で、自分のできることを無理なくやっていますね。
>澤岡
そういうところから推測すると、「居場所」とは必ずしも場所である必要がなかったり、すごく気の合う仲間との濃い付き合いが必要というわけでもない、ともいえますね。
コロナで多くの人がつながりを絶たれるという状況に陥っていますが、これってもしかしたら、健康な状態から身体が虚弱化して“思うように動けない、外出できない状態”になったときと似ているのかも知れません。
人生100年と言われる長寿命化時代、多くの人が将来、身体を思うように動かせない、誰かとつながったり、活動したりでできない、そういう時間が長くなります。そのなかで、どんな居場所を持ち続けるか?ヒトとしてどんなつながりを持ち、どんなふうに社会の一部として生きていくか?これを一人一人が問われているのかなとも感じています。
>桑原
「場」の形は、ICTの発展とともに今後も絶えず変化していきそうですが、どんな形になったとしても、自分が自分らしく居られる場が、その人の居場所なんでしょうね。心の持ちようで、どこでも居場所にすることができるし、自立した考えをもたないと、居場所をたやすく失ってしまう可能性もある。
居場所探し活動のスタートを早くすることが重要になりますね。せめて40代から、いろいろな場を経験したり、見学したりして、職場や家庭以外に自分は社会の中でどう生きられるのかを考える機会をもつことが大切だなとあらためて感じています。
>澤岡
今、コロナのなかで居場所をどんな風に持ち続けられるかを考え、動くことは、人生100年を豊かに活きるための備えにもなるとも思っています。桑原さん、我々はすごく得なのかもしれませんね?出会うシニアから歳を重ねる楽しさも辛さも教えられていて、アナログからハイテクまで色々なツールを使っていて、子育て真っ盛りでゆるくも密度濃くも地元や色々な活動に顔をだせていて、たくさんの武器をもっているわけですよね。
>桑原
本当にそうですね!色々なタイプのロールモデルがまわりにたくさんいる!いつか自分も年をとったら、と考える機会があるだけでもありがたいですね。
>澤岡
最後に、ぜひ聞かせてください。いまコロナから学びつつあることもヒントに、桑原さんはこれからどんな人生100年の居場所をつくっていきますか?
>桑原
以前から考えていたことなのですが、虚弱化が進んで身体に自由がきかなくなった人が、自宅でも役割をもてる環境をつくりたいんです。自宅にいても、お金を稼いだり、楽しんだりできる環境を整備したいなと。自宅にいながら遠隔地のカフェにいるロボットを操作して、お客さまとおしゃべりしたり、注文をとったりして接客する取り組みがありますよね、あれに近い発想です。ロボットを開発するには費用がかかりますが、そこまでじゃなくても、お客様に送るお礼の手紙やDMを代筆してもらうとか、オンラインで日本語を教えるとか、誰かの話し相手になるとか、それなら自宅のベッドからできますよね。ただの内職だと孤独なので、それこそ、ICT技術を活用してオンラインでグループをつくりながら働くとか。外出が大変になったら、軒先でやれる駄菓子屋的なミニコミカフェを開くのも楽しそうですし。
企画の話をすると止まらないので、また別の機会でゆっくりお話しさせてください!
おたがい、まだまだやることがたくさんありそうですね。