「育ジイを楽しむ 」<自己紹介とともに>

執筆者:先輩じいじ 大坪 直樹 (孫娘が一人います。)

かつて帰省客の出迎え、見送りは「駅」だった。お盆や年末の風物詩として、ホームや改札口で孫を抱き上げたり、手を振り合う姿が、新聞やテレビで報じられていた。地方新聞社員で、そんな場面の雑感スケッチを手配され、いつか自分もその当事者になる日が来るだろうかと空想したこともあった。

それから数年して人並みに家庭を持ち、一女一男の親となったが、子育ては嫁さんの役割と割り切り、パチンコ麻雀飲み会と午前さまや徹夜もしばしば。高度成長期の真っただ中で五ケタ賃上げ、ボーナス三カ月分などのころだった。

イケメン、イクメンなどという言葉もなく、子どもは自然に育つものだと思っていた。そんな野放図な父親の元でも、こどもは順調に成長。長女は花の東京でOLとなり、時経て職場の同僚と結婚。そして私はなんの自覚もなしに、六十三歳で「おじいちゃん」になった。

そして、季節ごとの娘親子の帰省である。幼稚園入園までは春、秋など過ごしやすい時節に帰省。出迎えや見送りはいまや駅ではなくて、有明佐賀空港である。よちよち歩きのころは、到着口で待つジージを見つけると「おじーちゃん」と言って、駆けてくる姿がまたたまらかなかった。

抱き上げて高い高いをしてお互い喜んでいたのが、駆け寄る様子も年々変化してきて、小学生になった夏休みの帰省では、ちょっとはにかみながらゆっくり近づいて来る。その成長もジージはまぶしいのである。

休日には、思い出すだけでも阿蘇の「猿劇場」、大分の「ハーモニーランド」、下関の水族館など、ジージはハイブリット車に買い替え東奔西走の孫孝行。今思い描くのは、孫娘が一人で帰省する姿で、心細そうに到着口から出てくるのを抱き締めるジージを演じてみたい。

イクメンでなかった反省から育ジイを楽しみたいと願う古希のジージである。

otsubosan 先輩じいじ 大坪 直樹

1944年生まれ 1歳4ヵ月で台湾から引き揚げ(記憶なし)。地元の小中高校を経て、東京へ進学、1969(昭和44)年佐賀新聞社入社。報道・文化・支局・営業開発・読者センターなどに勤務。2005(平成17)年定年退職。

佐賀市立久保泉公民館長(任期4年の公募)、再任2回で現在館長9年目。